「あなたは今サムライだ!」全盲モンゴル人留学生「18年越しの夢」叶えた着物の力

左から/鍼灸師のニャマフーさんと、筑波技術大学の留学生ダグワさんは、在日モンゴル人つながり。ニャマフーさんと、鈴木弘美さん(左から3番目)は、国際視覚障害者援護協会のボランティア活動を通じて知り合った、視覚障がい者つながり
母と祖母の形見の着物を長年寝かし続けたが、12年前に一念発起して着物デビューしたイラストレーターでエッセイストの森優子さん。「着る楽しみ」から始まり、海外旅行先では、「言葉や文化の壁をらくらく越えるコミュニケーション・ツール」としての実力を思い知った。やがて日本国内で「着物を着たいのに着られない」外国人留学生らに「着せてあげるプロジェクト」にも参加するようになった。その活動がコロナ禍で休止して2年半たったころ、森さんのところに、あるモンゴル人留学生の願いが寄せられた。
着物が着物を呼び…盲目の留学生の願いが舞い込んだ
「着物は着物を呼ぶ」
周囲から「着物を着る人」と認知されるようになると、たとえば「母の着物をもらってくれない?」と着物の方からやってくる。あるいは、「息子の入学式でこのコーデは大丈夫?」「浴衣選びに付いてきて」など、着物がらみの相談やお誘いを受けることも増える。
「着物は着物を呼ぶ」。これは着物をたしなむ人なら、多かれ少なかれきっと誰もが実感することだと思う。サムライに憧れるモンゴル人留学生ダグワさんとの出会いもまた、着物がたぐり寄せたご縁の一つだったのである。
そもそもは昨年末、私が一度はナマで拝みたいと願っていたピアニスト、フジコ・ヘミング氏の演奏会に奇跡的に残席があると分かって飛びついたのが始まりだった。
演奏会がなぜモンゴル人留学生を呼んだのか 友人の鈴木さんを誘い込み、二人して和装で、フジコ・ヘミングの演奏会へと出かけた。普段着なれない着物にご満悦の鈴木さんがそれを SNS に投稿。するとただちに、次のような相談メールが鈴木さんに寄せられたのだった。差出人は、在日モンゴル人鍼灸師のニャマフーさんという女性である。
モンゴル語&立体文字でお出迎え 「サムライや着物に憧れ続けてやっと来日できた全盲のモンゴル人留学生がいるのです。なんとか着物を着せてあげたいと願っていたところで、鈴木さんの投稿を見ました。着物のことがわかる人につながれば実現できるのではと」(ニャマフーさんのメールの文面)
その留学生というのが、先述の青年、ダグワさんである。モンゴルからつくば市の大学に留学して、一年半だという。鈴木さんを介して相談を受けた私が、「おっしゃあ」と立ち上がったのは言うまでもない。かくして、彼の憧れを実現させる計画が始動したのである。
いよいよ当日を迎えて対面だ。「はじめまして、ダグワと申します」 ずっとディスプレイの文字だけで会話していたので、声を聞くのも互いに初。ダグワさんは身長 178センチ、すらっとしていて、ずばりかっこいい。
そして、思った以上に喜ばれたのが、前夜に作っておいたモンゴル語での歓迎ボードだった。作り始めてから「あ、これじゃダグワさんが読めないじゃん」と、急遽エチレンボードで文字を立体にしたものだ。これを、ダグワさん以外の二人もたいそう喜び感謝してくれたのだった。鈴木さん曰く、「出来が良い悪いじゃなくてさ。これを作ってくれたっていうこと自体に『歓迎』の心を感じるんだよ」。
なお、鈴木さんとニャマフーさんは視力が弱視(見ることはできるが視力が低い)、ダグワさんは全盲と、3人には視覚障がい者という共通項がある。
ちなみに、ニャマフーさんも着物は未経験だった。「着たい気持ちはありましたが、周りに着物を着る人がいなかったのです。道で着物姿の人に声をかけて頼むわけにもいきませんし」(ニャマフーさん)。
鈴木さんに仲介を頼んだのは、同じ視覚障がい者で互いの事情がわかるからというわけでは特になかったらしい。「彼女ならきっと力を貸してくれるという人柄と、SNSの着物姿がかっこよかったからですよ」とニャフーさんは言う。
「着物が着たい」と、片道 2 時間の電車を乗り継いでやってきた盲目の留学生ダグワさんは、なぜそんなにも着物に恋焦がれるのか。そして、長年の夢かなう時、その姿をダグワさんはどうやって確認するのだろう。後編「『あなたは今サムライだ!』全盲モンゴル人留学生の18年越しの夢を叶えた着物の力」で詳しくお伝えしたい。
現代
森 優子(旅行エッセイスト)