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『冬の草原のエピソード④』ライフルと愛馬

「ライフルと愛馬」

「ライフルと愛馬」


 これも最初にモンゴルに滞在した時のこと。


 遊牧民の生活は一言で言うなら、厳しい上に単調だ。

 朝早く起きると、夫婦で家畜達に満遍なく基礎飼料を与える。牧草が不足しがちになる冬の間の家畜達の朝飯だ。

 それが済むと夫は牛、羊達を追って草原に放牧に出掛ける。奥さんは、本日担当の一頭の牛から乳を搾る。

 牧民は放牧地でも、家畜達に気を配る。

 越境して他のテリトリーに入らないか、ちゃんと草を食べているか、狼にやられないか等、家畜の数が多いほど仕事は多い。その間、客などが来れば、ゲルに戻って対応したりする。

奥さんも料理等ゲルの仕事をしながら、夫の放牧の仕事を手伝う。

 夕方になると、集めた全ての家畜を追って、ぞろぞろとゲルの近くまで戻ってくる。そしてまた補食も与える。

 夜は、一応頼もしい番犬がいるが、狼等の外敵や凍死から家畜を守らなければならない。

 夕食から就寝までの間、家族と過ごす時が、一日の内で最も牧民の寛げる時間だ。

 ストーブを囲んで、家族でカードゲームをしたり、子供と遊んだり、ロウソクの下で古い新聞を読んだり。

 こうして家族と過ごした夜のことは、今でも一番楽しかった記憶として私の中に残っている。


 遊牧民にしてみれば、こんな単調で投げ出したくなるような作業の日常が、来る日も来る日も続く。

 冬は更に凍てつく寒さで、何倍も厳しさが増す。それでも生きた動物が相手だから、容易に休暇をとることも出来ない。


 主人のバトは、そんな日々を一緒に過ごす私を見て、さぞ私も退屈していると思ったのだろう、私にかまってやれないので済まない、みたいなことを言っている。

 そんなことはない。私にしてみれば、全く退屈などしていなかった。遊牧民の生活が初体験の私にとって、ここでの毎日は驚きと発見に満ちていた。


 そんなある日、主人のバトが「明日、仕事を休むから、一緒に狩猟に行こう」と誘う。

 嬉しい。

 その夜、私は子供のようにウキウキした気分で寝た。


 翌朝、放牧から戻ったバトは、私が乗る馬を引き連れて来た。灰色の毛並のいい、若くて美しい馬だ。名前は「サルヒ(風)」という。その名のごとく、走れば風のように速そうだった。

 バトはこの馬を私にプレゼントすると言う。草原にいる間、自由に乗っていい、またいつの日かここに来た時も同じだ、この馬はカドタの物だと。

 ありがとう。

 日本に帰っても、モンゴルに自分の馬がいると思うと嬉しくなる。


 バトはロシア製のシンプルなライフルを斜に背負い、馬に乗る。

 ライフルは今まで彼のゲルでは見たことがなかったのに、どこで調達してきたのか?


 二人で時々馬を走らせながら、いくつかの丘を越え、林を抜けて、目指す猟場に向かった。

 バトは歌が好きだ。道中ずっとモンゴルの歌を歌っていた。

聴き惚れるくらい上手い。


 雲の絨毯のような、真っ白な雪原が、遥か遠くの丘まで続いている。夏になると、これが一転して緑の絨毯に変化するのかと思うと、この次は夏に同じこの場所に来てみたいものだと思った。


 猟場に着くと、バトは地面の小さな穴を見つけては馬から降り、穴の中を調べる。そして振り向き、私に「fox」と言う。

狐を探しているらしい。

 たまに、私が丘を駆け上がるウサギを見つけてバトに教えても、彼はそれには目もくれず「fox」と言う。

 どうしても狐でなければ駄目らしい。

 私は標的なんか何でもよく、バトがそのライフルで何かを仕留めるのを見たいだけだった。


 そうやって、かなり広い範囲で狐が居そうな穴という穴を探して回ったが、結局狐は一匹も見つからなかった。


 既に半日経ち、家畜達が戻って来る頃である。お腹も空いてきた。バトもやっと諦めた様子。

 ライフルからは遂に一発の弾丸も発射されずに、私達は帰途についた。


 その夜、ゲルで家族と食事をしている時、持ち帰ったはずの彼のライフルを探してみたが、見当たらなかった。どこに仕舞ったのか、持ち主に返したのか?

 ここでまた、疑り深い私の悪い癖が出てくる。

 あの借り物かも知れないライフルには、最初から弾丸は入ってなかったのではないか?と。

 それをバトに言うと「バイン(ある)」ときっぱり言う。

 尚もしつこく弾を見せてくれと言っても、危ないから仕舞ってある、と言って絶対に見せようとしない。

 これ以上追求しても食事が不味くなるだけだから、話題を変えた。


 そして寝る時にまた考えた。

 確かにあのライフルに弾は入ってなかった。

 ライフルの弾丸はかなり高価だと聞いたことがある。

 弾丸の持ち合わせの無かったバトは、多分私に狩猟の気分だけでも味合わせようと、弾丸の入ってないライフルを背負って出掛けたのだ。

 狩猟の気分は味合えたので、もうどうでもよかったが、例え明日また弾のことを訊いても、バトは「バイン」と答えるだろう。


 翌朝、起きてゲルから外に出ると、なんとサルヒの姿が無い。

 草原に放ったのか?

 バトにサルヒのことを訊くと、

「また今度連れてくる、それまで違う馬に乗れ」

 と繋いである栗毛の馬を指差す。

 これが毎回続く。

 特定の1頭を探して連れて来るのは、相当難儀らしい。

 同じ馬をずっと繋ぎ留めておかないのが、遊牧民の流儀と理解する。


*この滞在中、再びサルヒに乗ることはなかった。

 2年後、再びモンゴルを訪れた時、運良く一度サルヒに乗ることができた。変わらず素敵な馬だった。

 あれからまた20余年。恐らく今ごろ、私のサルヒは天国の草原で風のように駆け廻っていることだろう。♣

モンゴルウォーカー活動における特別許可

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