ジャムスランギーン・サムブー 生誕130周年を記念して
- mongoliawalker
- 7月21日
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モンゴル国家元首として18年にわたり国を導き、「モンゴル国家の賢明なる祖父」として国民から敬愛されたジャムスランギーン・サムブー氏の生誕130周年を記念する学術シンポジウムが、6月27日、同氏の誕生日にチンギス・ハーン国立博物館にて開催されました。
開会式では、モンゴル国大統領ウフナギーン・フレルスフ氏、国家大会議(国会)議長ダムディーン・アマルバヤスガラン氏より祝辞が寄せられ、首相ロブサンナムスライ・ザンダンシャタル氏が直接出席し挨拶を述べました。また、国会議員、政府関係者、学者・研究者、トゥブ県の代表団、出身地であるトゥブ県ブレン郡の住民も多く参加しました。
サムブー氏の生涯と功績を再評価
シンポジウムでは、「20世紀モンゴル史におけるジャムスランギーン・サムブー氏の役割」と題した基調講演が行われ、複数の専門家による発表が続きました。モンゴル国家建設の初期における財務政策、法制度、外交活動、さらには国家元首としてのリーダーシップに至るまで、幅広く再評価されました。
1900年代初頭、農民の家庭に生まれたサムブー氏は、幼少期から学問に励み、書記としての道を歩んだのち、国家財務を司る職務を経て、最終的に国家元首へと昇り詰めました。
国際外交と国家建設への尽力
1937年には、モンゴル人民共和国を代表してソビエト連邦(当時)に駐在する特命全権大使に任命され、9年にわたり外交任務を遂行。第二次世界大戦期には、モンゴルからソ連への物資支援を組織し、戦後は北朝鮮にも大使として派遣されました。彼の提案により、朝鮮戦争後には北朝鮮の孤児をモンゴルに受け入れて育てるという人道支援も実現しました。
清貧にして誠実なる国家元首
サムブー氏は、地位や権力に囚われることなく、公私の区別を厳格に守った清廉潔白な人物としても知られています。外交任務を終えて帰国した際には、モスクワから贈られた高級車「ポベーダ」を病院に寄贈し、金製の贈答品もすべて国立博物館へ寄付しました。
「自宅もなく、一部屋を希望します」と書かれた申請書は、国のトップである人物とは思えぬ謙虚な姿勢を今に伝えています。
18年間にわたる国家統治と法整備
1954年、モンゴル人民共和国国家大会議の議長(当時の国家元首)に選出されて以降、亡くなるまでの18年間、国家の最高権力者として在任し続けました。任期中には、憲法改正、刑法、民法、家族法の制定など、現代モンゴル社会の法制度の基礎を築きました。
また、モンゴルの人口増加と家族支援を目的に「名誉母親勲章制度」を創設し、5人・8人の子を持つ母親に対する国家的表彰と支援制度を導入しました。
趣味は将棋、民衆と共に歩んだ人柄
サムブー氏はまた、将棋愛好家としても知られ、どこへ赴任しても「将棋を指せる者はいないか」と問いかけていたという逸話も多く残っています。任期中に高級住宅を建てることもなく、引退後も慎ましい生活を送りました。
偉人の教え、次代に語り継ぐ
1972年に亡くなった際、モンゴル全土で3日間の追悼が行われ、国民の深い哀悼の意をもってその生涯を称えました。
2025年、130周年の節目にあたり、彼の精神を次代に伝える特別展示「教えの遺産」が国立博物館で公開され、遺品や記念品の数々が展示されました。
モンゴル国家と国民に一生を捧げた「モンゴル国家の賢明なる祖父」ジャムスランギーン・サムブー氏の精神は、今も多くの人々の心に生き続けています。
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