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モンゴル史の不思議「午(うま)年」に動く国家の運命

  • 15 分前
  • 読了時間: 3分

■ なぜか、午年に歴史が動く


モンゴルの歴史をたどっていくと、ふと気づくことがある。

「午年」に、国家の進路を決める出来事が重なっているという事実だ。


モンゴルでは昔から、午年は「хийморь(ヒーモリ)」――気力や運気が高まる年だと語られてきた。

決断が速く、行動が大胆になり、時代が一気に動く。

草原を駆ける馬のように、止まらない勢いが生まれる年。それが午年だ。


だが、これは単なる言い伝えなのだろうか。



🏹 建国も、午年だった


1162年、水の午年。

のちに世界史を変える人物、チンギス・ハン(テムジン)が誕生する。


そして1206年、赤い午年。

オノン川のほとりで開かれた大クリルタイにおいて、テムジンは「チンギス・ハン」として即位。

大モンゴル国が誕生した。


英雄の誕生も、国家の建国も、どちらも午年。

偶然と言い切るには、あまりにも象徴的だ。



🌍 世界を揺らした午年


1222年、黒い午年。

サマルカンドが陥落し、中央アジアは大きく揺れた。


1258年、黄色い午年。

フレグ軍がバグダードを攻略。イスラム世界の中心が崩れ、新しい時代が始まった。


1246年、赤い午年。

グユク・ハンがローマ教皇へ書簡を送る。

その原本は現在もバチカンに保存されている。

当時、モンゴルが世界規模で外交を展開していた証だ。


午年は、草原の出来事にとどまらず、ユーラシア全体を動かしてきた。



🕉 戦だけではない、精神の転換


1582年、黒い午年。

アルタン・ハンの死後、チベット仏教がモンゴル社会に深く根づく基盤が整う。


1822年、黒い午年。

ダンザンラブジャーがハマリン寺を創建。

そこは芸術と思想の拠点となり、文化が花開いた。


午年は、剣や弓だけでなく、心の方向も変えてきた。



🔥 近代を変えた午年


1942年、黒い午年。

モンゴル国立大学が設立され、教育の礎が築かれる。

同時に、第二次世界大戦下で「革命モンゴル」戦車隊を寄贈し、国際社会の中で存在感を示した。


1978年、黄色い午年。

エルデネト鉱山が本格操業を開始。

経済の新しい時代が幕を開ける。


そして1990年、白い午年。

民主化運動が広がり、多党制と市場経済へと舵を切った。

現代モンゴル最大の転換点も、やはり午年だった。



🧭 そして21世紀へ


2002年、国連平和維持活動への参加。

2014年、モンゴル・ロシア・中国の三国首脳会談。


午年は、国際舞台での存在感が強まる年でもある。



🐎 12年ごとの深呼吸


もちろん、歴史は干支で決まるものではない。

だが、こうして振り返ると、午年が“節目”になっている事例は驚くほど多い。


建国、征服、宗教改革、近代化、民主化――。


まるでモンゴルという国が、12年ごとに深呼吸をし、次の時代へ跳躍しているかのようだ。



✨ 次の午年に向けて


経済か。

文化か。

外交か。


次の午年、モンゴルはどんな選択をするのか。


草原を渡る風のように、また新しい歴史が動き出す瞬間を、私たちは目撃することになるのかもしれない。

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