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人生は美しい。

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幸福(ウェルビーイング)とは、欠乏や不安がなく、家族や友人との良好な関係、感情面・身体面の健康が保たれている、つまり人の「存在そのもの」に関わる状態を意味します。


「幸福とは何か?」という問いは、哲学における最も古い質問の一つです。これはさまざまな形で問われ続けてきましたが、「人はどのように生きるべきか?」「良く生きるとはどういうことか?」という質問と本質的には同じ意味を持っています。結局のところ、すべての人は良い人生を望み、「悪い人生」を願う者はいません。


では、幸福とはごく日常的な概念です。人は人生の良さを「幸福」という言葉で表現し、祝いの場では互いに「幸せ」を願い合います。


けれども、幸福の形や基準は人それぞれ違います。

ある人は「多くのお金を持つこと」を幸福だと考えます。確かに生活のためにはお金が必要です。しかし、毎日四六時中お金のことだけを考え、どんな手段を使ってでも稼ごうとしている人を、私は幸福だとは思いません。多くの財産を手にしても、それを本当に必要なことに使わず、他人に見せびらかして嫉妬を煽るように浪費する人は、幸せそうには見えないものです。


またある人は、「権力を持つこと」を幸福と考えます。権力は確かに決定権を与えてくれます。しかしその裏には「責任」という大きな影がつきまといます。もし自分や取り巻きの利益ばかりを優先し、多くの人の利益を損なうような決断をしてしまえば、その報いはいつか必ず自分に返ってきます。一時的な権力に溺れ、取り巻きを永遠の味方と錯覚し、自分を偉大だと持ち上げた尊大な顔からは、幸福は決して輝きません。


また、子どもをたくさん持ち、良い家庭を築くことを幸福だと思う人もいます。しかし「ベッドに乗れば父になるのは簡単だが、ベッドを降りてから父になるのは難しい」という言葉があるように、子どもにきちんと向き合い、正しく育てられなければ、将来その幸せを味わうことはできません。伴侶を理解し、真心を持って愛し、思いやることができなければ、人前でどれだけ仲の良い姿を見せていても、本当の幸福には至らないのです。


では、幸福とは何でしょうか?とてもシンプルに言えば、それは「心の満足」です。

人は誰一人として同じ形に生まれてくるわけではありません。そして与えられた運命も皆違います。その運命をどう活かすかは、他の誰でもなく 自分自身の知恵と努力にかかっています。


自ら努力し、自分の力で成し遂げたことに満足できたとき、幸福は自然と訪れます。


皆が世界一の富豪になろうとしたり、皆が王や大統領になろうとしたり、「望むものはすべて手に入れるべきだ」と突き進めば、それは幸福ではなく、むしろ苦しみの原因になるでしょう。まさに先人たちが「背負えない犬は骨を集める」と戒めた通りです。


良い人生とは、本来とてもシンプルなものです。カザフスタンのある映画監督の作品にこんな言葉がありました。


「人の頭の上には一つの杯があり、悪事を働くたびにそこへ一滴ずつ毒が落ちる。杯が満ちたとき、その人の人生は終わる。」


人は誰しも違う運命を持っています。他人と全く同じである必要はありません。ただし私たちに共通することがいくつかあります。


・人として生まれた以上、愛し合い、家庭を築き、自分たちの子どもを産み、良く育てる責任がある。・生活のために働き、その対価で必要なものを得る。・人生には良いことも悪いことも起こるが、その問題をどう解決するか、そしてその結果を受け止めるのも自分自身である。


ですから、人は 好きな仕事をし、その成果で生活を営み、仕事を終えれば家に帰ることが楽しみになるとき、幸福を感じるのです。


無理に自分の力を超えたものを手に入れようとして苦しむ必要はありません。目標に向かって努力し、苦労し、手に入れたものこそが最も価値があり、誇りとなります。


よく考え、今していることに満足できれば、人生は「とても美しい」と感じられるでしょう。今日あるものが、明日はさらに良くなると信じられること――それこそが人を前へ進ませ、自信を与えてくれるのです。


だからこそ、地球が365日で一巡し、私たちは年を重ね、新年を迎えます。その一巡の中で、「自分を振り返りなさい」と教えてくれているのです

 
 
 

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