父の約束から始まった人生 オリンピック審判となった男の物語
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1965年、イギリス・マンチェスターで開催されたフリースタイルレスリング世界選手権。モンゴル代表チームの監督だったオ・ツェレンダグワは、選手たちにこう語ったという。「この大会で一番活躍した選手の名前を、もうすぐ生まれる自分の子どもにつける」
その大会で、モンゴル初の世界大会入賞を果たしたのが功労スポーツ選手のダ・セレーテルだった。大会から帰国した翌日の6月10日、監督の長男が誕生する。父は約束通り、息子に「セレーテル」という名前を贈った。
その名を受け継いだ少年は、やがて父の歩んだスポーツの道をたどることになる。彼こそが、後にオリンピックの舞台で笛を吹くことになる審判、ツ・セレーテルである。
幼いころから父に連れられてレスリングの練習場に通い、選手たちの汗や努力、勝利と敗北を間近で見て育った。自然とスポーツの世界に引き寄せられたのは、ごく当たり前のことだった。
学生時代、彼は旧ソ連のキーウ体育大学で学び、世界的な指導者たちのもとで知識と経験を積んだ。その時代を、彼は「人生の黄金の時間だった」と振り返る。
帰国後はコーチとして活動を始め、1989年のモンゴル選手権で初めて審判を務めた。それが審判としての長い道のりの始まりだった。
そして2012年。ヨーロッパ選手権で決勝戦を裁いた彼は、世界トップ60人の審判の一人に選ばれ、オリンピックの審判資格を手にする。オリンピックの審判は、国際審判の中でも最高レベルに認められた者だけが立てる特別な舞台である。
ロンドン五輪では、モンゴルのレスリング選手サ・バトツェツェグが銅メダルを獲得した。「父と息子の二人がオリンピックのマットを裁いたことは、私の人生で最も誇らしい出来事です」と彼は語る。残念ながら父はすでに亡くなっており、その姿を見ることはできなかった。
彼の信条は「正直な努力は必ず報われる」という言葉だ。練習を怠る選手には厳しく、努力する選手には温かい。コーチとしても多くの優れた選手や指導者を育ててきた。
また、彼はモンゴルのスポーツ環境についても率直に語る。「もし日本や韓国のような設備やサポートがあれば、モンゴルの選手はもっと世界で活躍できる」
36年間、コーチ、審判、レスリング協会の役員としてスポーツ界に尽くした彼は、60歳の定年を迎え、国際審判を引退した。最後の試合を裁いたあと、彼は静かに笛を後輩へと託した。

「審判の仕事を誇りを持って始めたように、誇りを持って終えることができました」
父の約束から始まった名前。その名前とともに歩んだ人生は、モンゴルのレスリング史に残る美しい物語となった。
父の夢を受け継ぎ、世界の舞台で正義の笛を吹いた男。それは、スポーツの歴史に刻まれる「二世代の誇り」の物語でもある。




















































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