父たち
- mongoliawalkermaga
- 5 日前
- 読了時間: 2分

「父を突然亡くして、1日(ついたち)に葬儀を行うことになっていた時、5日目に師匠から電話が来たんです。『日曜日から本場所が始まる。来て相撲を取れ』と言われました。
私は驚いて、『いや、父を1日に送るんですよ』と言ったのですが、師匠は『こういうことで相撲を休むことはできない。一つは相撲をやめるか、もう一つは来て土俵に上がるかだ』と言いました。
その瞬間、私は腹が立って『じゃあ、相撲をやめます』と言って電話を切りました。
それから母に電話して…私にとっては到底受け入れられないことだったんです。『お母さん、俺は相撲をやめるよ。小さい頃からの夢は警察官になること、ボディーガードになること…父の職業を継ぎたい』と言いました。母はその時、何も言いませんでした。
その夜、母が私たちを呼んでこう言ったんです。『お父さんはもう戻ってこない。だから4人で、お父さんが喜ぶ生き方をしよう。お前が相撲をやめて警察官になったら、お父さんは喜ぶの?それとも大関魁皇関のように強くなって、祖国の名を上げたら、お父さんは喜ぶの?』
うちの父は大関魁皇の大ファンでした。その時私は『もちろん、父は俺が強くなって、魁皇関のようになるほうを喜ぶよ』と答えました。
それを聞いた母は、『じゃあ行ってきなさい。葬儀のことはお兄さん二人と、このたくさんの親戚・知人たちでしっかりやり遂げるから。心配しなくていい』と言ってくれました。
そして私は翌日、涙をこらえながら戻りました。
当時、私は師匠を憎んでいました。顔を見るだけで怒りが湧くほどに。すると師匠がこう言ったんです。『今お前が私を憎んでいることは分かっている。辛いことも分かっている。私も本場所の最中に母を亡くしたことがある。夜に青森へ飛んで母のそばに寝て、翌日戻って土俵に上がっていた。お前の心を癒すのは二つだけだ。一つは相撲の道。もう一つは時間だ』
その時の私は憎しみに満ちていて、受け止められませんでした。でも1年後、私は師匠に謝りました。
父を思い出してつらくならないように、孤独にならないように、相撲は私を支えてくれました。忙しかったことも助けになりました。
つまり何を言いたいかというと、あの時相撲をやめていたら、今の私はいなかったということです。第70代横綱にもなれなかったでしょう。
家族、そして正しい人たちに囲まれることが、正しい選択の道を開いてくれる――それを私は悟りました。
出典:『Аав нар(父たち)』番組より



















































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